Serzy-et-Prin / セルジー=エ=プラン
基本情報
| 地域圏(Région) | Grand Est |
| 県(Département) | Marne |
| 区(Arrondissement) | Reims |
| 郵便番号 : | 51170 |
| 面積 : | 7.36 km2 |
| 隣接するクリュ(Coomune) | |
| Hourges, Lagery, Lhéry, Crugny, Brouillet, Faverolles-et-Coëmy, Savigny-sur-Ardres, |
「Serzy-et-Prin」のぶどう畑
| テロワール | Montagne de Reims - Vallée de l'Ardre |
| 格付け | 86% Autre Cru [?] |
| 栽培面積 | 75.9 ha |
| - Chardonnay | 6.6 ha (8.7%) |
| - Pinot Noir | 9.6 ha (12.6%) |
| - Pinot Meunier | 59.7 ha (78.7%) |
| - その他 | 0 ha (0%) |
特徴
テロワール
詳細
セルジー=エ=プランは、マルヌ県グラン・エスト地域圏に属するコミューンで、モンターニュ・ド・ランス北西部のヴァレ・ド・ラルドルに位置する。ランスから南西へ約24km、フィスムから南東へ約10kmの地点にあり、コミューン内はアルドル川渓谷とバリゼ川渓谷に挟まれた丘陵地帯で構成される。総面積は736ヘクタール、標高は77〜201メートルの間で変化する。村の中心部(セルジー)は両渓谷の間の斜面に位置し、南部のプランの集落はアルドル川に沿って広がる。周辺にはウルジュ、ラジュリー、レリー、クリュニー、ブルイエなどのコミューンが隣接し、いずれも同じヴァレ・ド・ラルドル圏のオートル・クリュ村が連なる。
畑はコミューン内に3か所に分かれて分布する。サヴィニー=シュル=アルドルとの境に広がる北〜東の帯状区画、コミューン北部の南向き独立斜面、そして南端でブルイエ川(リュソー・ド・ブルイエ)沿いに4コミューンにまたがる帯状区画だ。土壌はカルシウム質粘土が主体で砂質成分も一部に混じり、保水性の高い粘土がピノ・ムニエの安定した果実熟度を支えている。総栽培面積75.90haのうち、ピノ・ムニエが59.70ha(約79%)を占め、ピノ・ノワールが9.60ha、シャルドネが6.60haと続く。
主要生産者の中で最も規模が大きく知られているのが、Alain Baillyだ。セルジー=エ=プランとサヴィニー=シュル=アルドルを中心に8ha以上、プルミエ・クリュのサシーとヴィル=ドマンジュにも3.5haを加えた合計約12haの畑を管理するレコルタン・マニピュラン(RM)。1940年に「Bailly Frères」として創業し、アラン・バイイが1962年にセルジーに拠点を設けた。持続可能農法を実践し、セルジーのピノ・ムニエを使った「Cuvée Fleur de Vigne」と、サシーのシャルドネを小樽熟成した「Cuvée Exception」が代表キュヴェとして知られる。
- V.ドラガルド(RM)— ヴィニュロン・アンデパンダン加盟。5コミューンに合計8haを持ち、ピノ・ムニエ78%・ピノ・ノワール13.5%・シャルドネ8.5%の品種構成。南東向きのカルシウム質粘土から産するムニエ主体のシャンパンを2000年より生産開始。旧名はYves Delozanne。
- L.エ・K.ユビアン — アルドル渓谷の生産者のなかで異色の存在で、ムニエ優勢地帯にあってシャルドネの比率を高めたキュヴェとブラン・ド・ブランを手がける。地区の品種多様性を体現した希少なスタイルだ。
村内にはCoopérative La Vigneronneと呼ばれる協同組合も拠点を置く。184名のメンバーが合計185haの畑を保有し、ヴァレ・ド・ラルドル・マッシフ・ド・サン・ティエリー・モンターニュ・ド・ランス・マルヌ渓谷にまたがる25コミューンに分散する大規模組織だ。1957年に正式設立、1965年に本格稼働を開始し、1999年に新施設を建設。ニコラ・フィアット(Centre Vinicole Champagne-Nicolas Feuillatte)傘下の82組合のひとつでもあり、メンバーのうち40名がRC名義で独自にシャンパンを販売している。
村の歴史は古く、セルジー(Serzy)は1145年に「Serzeium」として文献に初登場する。南部の集落プラン(Prin)は1164年に「Perren」として記録され、古高ドイツ語で「石」を意味するこの名が示すように、かつては城と礼拝堂を持つ独立した集落だった。2つの集落は1790年に合併してセルジー=エ=プランとなった。1899年の発掘調査では新石器時代からの定住の痕跡も確認されており、この地が長く人の営みを支えてきたことがわかる。村内には12世紀のノートルダム教会、17世紀のプランの城、そして水車小屋が残り、歴史の層を今に伝えている。
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