Bligny / ブリニー

ブリニーはヴァレ・ド・ラルドルの最奥に位置する小村で、栽培面積わずか5.20haながらオートル・クリュ認定を受ける。畑の85%をピノ・ムニエが占め、アルドル渓谷の西向き斜面が生む果実味豊かなシャンパンが個性を放つ。

基本情報

地域圏(Région)Grand Est
県(Département)Marne
区(Arrondissement)Reims
郵便番号 : 51170
面積 : 2.59 km2
隣接するクリュ(Coomune)
Sarcy, Chambrecy, Chaumuzy, Bouilly, Aubilly, Saint-Euphraise-et-Clairizet,

「Bligny」のぶどう畑

テロワールMontagne de Reims
- Vallée de l'Ardre
格付け83% Autre Cru [?]
栽培面積5.2 ha
- Chardonnay0 ha (0%)
- Pinot Noir0.8 ha (15.4%)
- Pinot Meunier4.4 ha (84.6%)
- その他0 ha (0%)

特徴

栽培面積の約85%をピノ・ムニエが占め、残り15%はピノ・ノワールで、シャルドネは一切植えられていない。アルドル渓谷の西向き斜面が育てるピノ・ムニエは、赤系果実の柔らかな甘みと丸みのある口当たりが特徴で、若いうちから楽しめる早飲みスタイルのシャンパンに仕上がることが多い。大規模な熟成を必要とせずグラスに注いですぐに花開く親しみやすさを持ち、アペリティフや軽めのフィンガーフードと合わせることで、その果実味がより一層引き立つ。

テロワール

ブリニーの畑はコミューン東部に集中し、モンターニュ・ド・ランスの南西裾野を流れるアルドル渓谷の緩やかな西向き斜面に位置する。隣接するのは北のサルシー、北西のシャンブレシー、南のショミュジー、東のブイイ、北のオービイ、北東のサン=タフエーズ=エ=クレリゼといった小村群で、ランスから南西へ約16kmに位置する。標高は108〜225mと変化に富み、谷底から丘頂にかけての高低差がこの地域特有の微気候を形成する。アルドル川が流れる谷地形は冷涼な空気の流れを調整し、午後の西日を斜面全体に当てやすくする。この環境がピノ・ムニエの晩熟をゆっくりと助け、糖分と酸のバランスをとりながら果実味を蓄積させる。

詳細

ブリニーはモンターニュ・ド・ランスを構成するサブゾーンのひとつ、ヴァレ・ド・ラルドルに属するコミューンで、ランスから南西へ約16kmに位置する。コミューン全体の面積は259haで、そのうちシャンパーニュオートル・クリュエシェル・デ・クリュ83%)として認定されたブドウ畑の総面積は5.20haと極めて小さい。北をサルシー、北西をシャンブレシー、南をショミュジー、東をブイイ、北をオービイ、北東をサン=タフエーズ=エ=クレリゼに囲まれ、アルドル川が流れる谷の最奥部に位置する静かな農村である。なお、コート・デ・バールのオーブ県にも同名のBlignyが存在するが(シャトー・ドゥ・ブリニーで知られる産地)、本項はマルヌ県のブリニーを指す。

テロワール

畑はコミューン東部に集中し、緩やかな西向き斜面に広がる。標高108〜225mの高低差がもたらす地形変化と、アルドル川沿いの谷地形が微気候を形成する。品種構成はピノ・ムニエが4.40ha(約85%)、ピノ・ノワールが0.80ha(約15%)で、シャルドネは一切植えられていない。ヴァレ・ド・ラルドルの他の村々と同様に西向き斜面が卓越しているが、ブリニーが渓谷の最奥に位置することで、朝夕の温度差がやや大きくなり、果実に凝縮感をもたらす傾向がある。午後の西日を受けやすいこの斜面の向きは、晩熟性のピノ・ムニエが十分に糖分を蓄積するうえで重要な役割を果たしており、完熟した果実味が村のシャンパンを特徴づけている。

主要生産者

MercelotRC:Récoltant-Coopérateur、自らブドウを栽培しながら協同組合の醸造設備を借りてシャンパンを仕上げる生産者区分)は、フィリップ・メルスロー(Philippe Mercelot)名義で活動するグロワーである。ヴィンテージ・シャンパンを含む複数のキュヴェをラインナップに持ち、ブリニーのピノ・ムニエ主体のテロワールを反映した果実味豊かなスタイルを追求している。栽培から瓶詰めまでの過程で協同組合の技術力を活用しつつも、自家畑のブドウにこだわる小規模生産者として、村の個性を瓶の中に閉じ込めている。なお、生産者数は37名に上るが、その大半はブドウを協同組合へ供出するグロワーであり、自社ブランドのシャンパンを手がける生産者は限られる。

歴史

ブリニーという地名は1197年の「Blaingneium」が初出とされ、以後Blangneium(1255年)、Blagny(1485年)など多様な表記を経て現在のBlignyに定着した。中世にはランス大司教と聖堂参事会が領主を務め、14世紀中頃以降はシャティヨン家のギー(Guy de Châtillon, 1305–1362)をはじめ、モンフォコン=モンベリアール家・ノイシャテル=ブルゴーニュ家・アングリュール=デトジュ家と複数の貴族家系がこの地を相続した。

第一次世界大戦では激しい戦闘の舞台となり、村はクロワ・ドゥ・ゲール(1914–1918年戦功十字章)を1920年10月1日に授与された。村北部のクロワ・フェルラン地区に広がるネクロポール・ナシオナル・ドゥ・ブリニー(フランス国立墓地)はその歴史を今に伝える場所で、隣接してドイツ軍墓地も設けられている。さらに、隣村シャンブレシーのコミューン内に位置しながら「ブリニー」の名を冠するイタリア軍墓地は、フランス国内最大のイタリア軍墓地として知られ、今日も多くの人が訪れる。12世紀創建のサン=ピエール教会は戦争で破壊された後に同地で再建され、小さな村の歴史的シンボルとして現在も残っている。

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「Bligny」を拠点とするシャンパン銘柄

参考情報