Pévy / ペヴィー
基本情報
| 地域圏(Région) | Grand Est |
| 県(Département) | Marne |
| 区(Arrondissement) | Reims |
| 郵便番号 : | 51140 |
| 面積 : | 7.40 km2 |
| 隣接するクリュ(Coomune) | |
| Bouvancourt, Hermonville, Trigny, Prouilly, Montigny-sur-Vesle, |
「Pévy」のぶどう畑
| テロワール | Montagne de Reims - Massif de Saint-Thierry |
| 格付け | 84% Autre Cru [?] |
| 栽培面積 | 93 ha |
| - Chardonnay | 13.9 ha (14.9%) |
| - Pinot Noir | 28.6 ha (30.8%) |
| - Pinot Meunier | 50.3 ha (54.1%) |
| - その他 | 0.2 ha (0.2%) |
特徴
テロワール
詳細
ペヴィーは、シャンパーニュ地方北西部、ランス市街から北西へ約7kmの位置にあるコミューンで、行政上はランス郡フィスム=モンターニュ・ド・ランス郡区に属する。総面積740ha、標高は87mから214mまで起伏に富み、村の中心を「シャンパーニュ観光街道」が通る。北にブヴァンクール、北東にエルモンヴィル、南東にトリニー、南にプルイイ、西にモンティニー=シュル=ヴェルと接し、マッシフ・ド・サン・ティエリーの中でも比較的まとまった畑を持つ村として知られる。コシャ川とコレット小川が村域を流れ、農業地帯タルドノワにも属している。
テロワールの核心は、南のプルイイの畑と地続きになるエリアに広がる南向き斜面だ。マッシフ・ド・サン・ティエリーは全体として平坦な区画が多い産地だが、ペヴィーとプルイイはその中で例外的に斜面率が高く、日照を効率よく受け止める地形を持つ。土壌は化石貝殻を豊富に含む砂質ローム層で、その下にチョーク(白亜)層が控える二層構造になっている。この組み合わせが春先の地温上昇を後押しし、果実の熟度を高めると同時に、チョークが保つ清涼感もブドウに与える。排水性に優れているため根は深く張り、養分を求めてチョーク層まで到達する。気候はケッペン分類でCfb(西岸海洋性気候)に区分され、年平均気温10.2度、年間降水量709mmと、モンターニュ・ド・ランスの主要エリアよりやや涼しい。この涼しさが収穫期の酸の保持に有利に働き、ペヴィーのブドウに張りのある酸味を与えている。栽培面積の過半をピノ・ムニエが占めるのは、この地域がかつてシャンパーニュ随一の赤ワイン産地として知られていた歴史の延長線上にある。
主要生産者
地区内で最も注目されるのがChampagne Hautboisだ。ファビアン・オートボワが2012年に独立キュヴェとして立ち上げたこの造り手は、古樽やアカシア材の樽、クレイ・アンフォラを使い分ける醸造スタイルで知られる。畑は6haで、ピノ・ムニエ55%・ピノ・ノワール25%・シャルドネ20%という構成。代表キュヴェは中世の村の門にちなんで名付けられたピノ・ムニエ100%の「ラ・ポルト・ゴリヴァ」と、シャルドネ100%の「レ・ルーリー」で、いずれも古樽熟成のノンヴィンテージとして4年来のソレラ・ブレンドで構成される。両キュヴェとも単一区画ごとの個性をそのまま映し出す造りが特徴だ。さらに同造り手は、アルバンヌ、プティ・メリエ、ピノ・ブラン、ピノ・グリといった忘れられた品種の植え直しにも取り組んでおり、気候変動時代を見据えた複雑性の追求を進めている。
もう一軒、地区の歴史を語るうえで欠かせないのがJean-Pol Hautboisである。1976年に村の協同組合を設立した造り手で、シャルドネ100%のヴィンテージ・シャンパン「キュヴェ・アシル」を手がける。協同組合設立という経緯からも、ペヴィーという小さな村における生産者間の結びつきの強さがうかがえる。
Degenne-Squelart et Filsはペヴィーに5.5haの畑を構える生産者で、会社名を「ラ・テール・ソーダイ」という。村の中規模生産者として、地域に根ざした栽培を続けている。
歴史・由来
村名はラテン語の地名形「Paveium」(1226年)に由来し、「Paivi」「Paiviacum」「Paviacum」「Paivy」「Poivy」「Peviacum」「Pevi」といった表記の変遷を経て、現在の「Pévy」に落ち着いた。マッシフ・ド・サン・ティエリーという地区名の由来であるサン=ティエリー修道院は、中世にこの一帯の畑を所有し、12世紀にはエルモンヴィルやコルミシーの市場を通じてワインを輸出していた記録が残る。この地域の醸造の歴史は、現在のシャンパーニュ発展以前にまで遡る古いもので、当時は赤ワインの主要産地として知られていた。
村内には歴史的建造物に指定されたノートルダム教会があり、16世紀製の祭壇画を所蔵する。また彫刻家ジュール・デシャンによる戦争記念碑「死にゆくポワリュ」も残されている。人口は19世紀初頭には400人を超えていたが、長期的な減少傾向をたどり、2023年時点では235人となっている。小さな村でありながら、ワイン造りの歴史と挑戦の両方を今に伝える土地だ。
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