Châlons-en-Champagne / シャロン=アン=シャンパーニュ

シャロン=アン=シャンパーニュは、ブドウ畑を持たないにもかかわらず、シャンパーニュの歴史に深く刻まれた都市です。1798年にジャクソンが、1825年にジョセフ・ペリエが産声を上げたこの街は、マルヌ川の水運で栄えた「ネゴシアンの都」。市内の白亜質セラーはユネスコ世界遺産にも認定されており、グラスの向こうにローマ時代からつながる物語が透けて見えます。

基本情報

地域圏(Région)Grand Est
県(Département)Marne
区(Arrondissement)Châlons-en-Champagne
郵便番号 : 51000
面積 : 26.05 km2
隣接するクリュ(Coomune)
Compertrix, Fagnières, Sarry, L'Épine, Saint-Martin-sur-le-Pré, Saint-Memmie,

特徴

シャロン=アン=シャンパーニュ自体はブドウを栽培しないため、ここで生まれるシャンパーニュのスタイルは、各メゾンがどの産地からブドウや原酒を調達するかによって決まります。現在もこの地に本拠を置くジョセフ・ペリエは、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ右岸のキュミエールやオーヴィレールから調達するピノ・ノワール主体のブドウで仕込み、果実の豊かさと丸みのある口当たりを特徴とするシャンパーニュを造ります。プレスティージュ・キュヴェ「ジョゼフィーヌ」はシャルドネ比率を高めた繊細なスタイルで、ヴィクトリア女王やエドワード7世も愛したという歴史的な背景とともに味わうと、一層の奥行きを感じられます。

テロワール

シャロン=アン=シャンパーニュは、シャンパーニュAOCの「生産ゾーン(zone de production)」の外に位置するため、市内にブドウ畑はなく、クリュ格付けも存在しません。マルヌ川沿いの平野に開ける標高82〜84mの低地で、ランスの南東約30kmに位置します。隣接するコンペルトリックスやファニエールの地下には、ガロ=ローマ時代から掘り続けられた白亜(クレ)の洞穴が広がっており、この地下空間こそがシャロンをシャンパーニュ産業と結びつけてきた最大の地質的資産です。最寄りのブドウ畑はモンターニュ・ド・ランス南東部の約18km先。ただし「醸造ゾーン(zone d'élaboration)」には含まれており、他産地から購入したブドウや原酒を使ったシャンパーニュの製造・熟成は認められています。気候はケッペン分類Cfb(温暖湿潤)で、年平均気温11.2°C、年降水量約632mm。畑を持たない都市でありながら、地下に刻まれた白亜のセラーがシャンパーニュの品質と歴史を今も静かに支えています。

詳細

シャロン=アン=シャンパーニュは、マルヌ県の県庁所在地(プレフェクチュール)であり、グラン・エスト地域圏に属する人口約43,000人(2023年)の都市です。ランスの南東約30km、マルヌ川沿いの平野に位置し、A4(パリ〜ストラスブール)とA26(リール〜リヨン)という2本の主要高速道路が交差する交通の要衝でもあります。TGVでパリ東駅と直結し、国際貨物空港(シャロン・ヴァトリー空港)も擁するこの街は、シャンパーニュ産業にとって「醸造・流通の拠点」として機能してきました。隣接するコミューンはサン=マルタン=シュル=ル=プレ、サン=メミー、サリー、コンペルトリックス、ファニエール、レピーヌです。

市内にブドウ畑はなく、シャンパーニュAOCの「生産ゾーン(zone de production、319コミューン)」の対象外です。ただし「醸造ゾーン(zone d'élaboration)」には含まれており、他産地から調達したブドウや原酒を使用したシャンパーニュの製造・熟成は認められています。ファニエールの白亜の丘やコンペルトリックスの地下には、ガロ=ローマ時代から掘り続けられた白亜質(クレ)の洞穴が残り、メゾンのセラーとして活用されてきました。これらの地下空間は2015年、「シャンパーニュの丘、メゾン、セラー(Coteaux, Maisons et Caves de Champagne)」としてユネスコ世界遺産に登録されています。

ジョセフ・ペリエ(Joseph Perrier Fils & Cie)は1825年創業、現在もシャロン=アン=シャンパーニュに本拠を置く唯一の主要ネゴシアン・マニピュランです。1998年よりグループ・アラン・ティエノ傘下となり、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ右岸のキュミエール(9ha)、ダムリー、オーヴィレール、ヴェルヌイユ(計12ha)に自社畑21haを所有。ピノ・ノワール主体のブドウから年間約80万本を生産し、輸出比率は約70%に達します。ヴィクトリア女王・エドワード7世への公式供給者として知られたその歴史は、キュヴェ名「エスプリ・ド・ヴィクトリア」や「ジョゼフィーヌ」(シャルドネ主体のプレスティージュ)にも刻まれています。

なお、かつてジャクソン(Jacquesson)も1798年にこの地で創業しています。創業者メミ・ジャクソンの手でシャロン=シュル=マルヌに設立されたこのメゾンはナポレオンに愛され、後のクリュッグ(Krug)創業者ジョゼフ・クリュッグが修業した地としても名高い存在です。1974年にシケ家がディジーへ移転させるまで、長くこの街のシャンパーニュ文化を牽引しました。

シャロン=アン=シャンパーニュの歴史は、シャンパーニュ産業よりもはるか古い時代に遡ります。ラテン語名カタラウヌム(Catalaunum)として知られたガロ=ローマ都市は、451年のカタラウニア平原の戦いでアッティラ率いるフン族の西進を阻んだ場所です。660年以前に創立されたサン=ピエール=オー=モン修道院(ベネディクト会)は、シャンパーニュのブドウ栽培振興において重要な役割を担い、1114年には司教ギョーム・ド・シャンポーが「グランド・シャルト・シャンプノワーズ」を作成して修道院の農業・ブドウ栽培権を確認しました。この文書はシャンパーニュ・ヴィニョーブルの「創設文書」とも称されます。同修道院のジャン・ウダール修道士(1679〜1742年活動)はピエリーの醸造家として初期シャンパーニュの発展に貢献しました。フランス革命後に修道院財産は没収され、かつて約1,000haを誇ったとされる市内のブドウ畑も消滅。建物は1836年に解体されました。1995年には「シャロン=シュル=マルヌ」から現在の「シャロン=アン=シャンパーニュ」へと改称され、シャンパーニュAOCへの復帰を目指した栽培再開申請も行われています。

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「Châlons-en-Champagne」を拠点とするシャンパン銘柄

参考情報