Nogent-l'Artaud / ノージャン=ラルト

ノージャン=ラルトは、ヴァレ・ド・ラ・マルヌの最西端に近いエーヌ県の小村。わずか2.20haの畑の全てをピノ・ムニエが占めるオートル・クリュのコミューンで、ブレンド用原料として周辺の大産地を支える純粋なムニエ産地だ。

基本情報

地域圏(Région)Hauts-de-France
県(Département)Aisne
区(Arrondissement)Château-Thierry
郵便番号 : 02310
面積 : 23.99 km2
隣接するクリュ(Coomune)
Bassevelle, Hondevilliers, Verdelot, Chézy-sur-Marne, Viels-Maisons, La Chapelle-sur-Chézy, Charly-sur-Marne, Pavant, Saulchery, Romeny-sur-Marne,

「Nogent-l'Artaud」のぶどう畑

テロワールVallée de la Marne
- Vallée de la Marne Ouest
格付け80% Autre Cru [?]
栽培面積2.2 ha
- Chardonnay0 ha (0%)
- Pinot Noir0 ha (0%)
- Pinot Meunier2.2 ha (100%)
- その他0 ha (0%)

特徴

全栽培面積がピノ・ムニエ100%というノージャン=ラルトのシャンパンは、フレッシュさとフルーティーな香りが前面に出るのが特徴。赤系果実や柑橘のアロマが心地よく、軽快な口当たりが魅力だ。地元生産者はシャルドネをブレンドに加えてバランスと複雑さを調整することもあり、全体的に飲みやすくまとまったスタイルが志向されている。重さや渋みより香りと柔らかさを楽しみたい飲み手に向いており、アペリティフや軽めの前菜など、食事の序盤にそっと寄り添う場面に自然と合う。

テロワール

ノージャン=ラルトの畑は村の東側に位置し、マルヌ川左岸の谷地形を背景に西向きの単一区画として広がる。ヴァレ・ド・ラ・マルヌ・ウエストの典型的な地形環境を持ち、川沿いの谷が温暖な微気候を形成することでピノ・ムニエの栽培に適した条件を提供している。エシェル・デ・クリュは白・黒ともに80%で、隣接するシャルリ=シュル=マルヌやパヴァンと同格の格付けだ。栽培面積は2.20haと極めて小規模で、1997年時点から変化がなく、長期にわたってその規模が保たれている。この小さな区画全体をピノ・ムニエが独占することが、ノージャン=ラルトのテロワールとしての個性を際立たせており、この品種特性がシャンパンに軽快さとフルーティーな香りをもたらす。

詳細

ノージャン=ラルトはヴァレ・ド・ラ・マルヌの最西端に近いヴァレ・ド・ラ・マルヌ・ウエストに属するコミューンで、エーヌ県南部、マルヌ川左岸(南側)に位置する。パリの東約86km、シャトー=ティエリの南西約13kmという立地で、マルヌ川を挟んで右岸にはロムニー=シュル=マルヌ(北東)、ソルシュリー(北西)、シャルリ=シュル=マルヌ(北北西)が、左岸側にはシェジ=シュル=マルヌ(東北東)、パヴァン(西)が隣接している。村の標高は57〜222mと変化に富み、面積は23.99km²、人口は約2,100人ほどの静かな農村だ。

畑は村の東側、西向きの単一区画に集中し、面積はわずか2.20haに留まる。全面積をピノ・ムニエが占め、エシェル・デ・クリュは白・黒ともに80%のオートル・クリュ格付けとなっている。1997年時点でもすでに2haだったとの記録があり、数十年にわたって規模の変化がない安定した小産地だ。マルヌ川の谷地形が温暖な微気候を形成し、ピノ・ムニエの晩熟性を補助していると見られる。

生産者

当コミューンを拠点とするのが、RCのセルジュ・ウードリーだ。1890年代に祖先が葡萄栽培を始め、1983年に創業者セルジュ・ウードリーが自社ブランドを立ち上げた、4世代にわたる家族経営の蔵元である。主力の畑はシャルリ=シュル=マルヌの丘陵地に3haを構え、ピノ・ムニエを中心にシャルドネも手掛けてブリュット、ロゼ、ミレジムなど7種のキュヴェを展開している。農薬を抑えたリュット・レゾネ(環境配慮型農法)を採用し、一部区画では性フェロモン錯乱法も取り入れる。醸造には伝統的なコカール式プレスワールを用いた手工業的な生産スタイルを守っており、大量生産とは一線を画す丁寧な造りが特徴だ。

歴史

ノージャン=ラルトには、フランス史の一幕と関わりを持つ逸話が残る。17世紀初頭、シャンパーニュ(ラングル地方)出身のポワソン家がこの地に移住・定着した。一族のフランソワ・ポワソンは、ルイ15世の寵妃として知られるポンパドール夫人(ジャンヌ=アントワネット・ポワソン)の父とされる人物であり、ノージャン=ラルトはその一族の出自として記録に残っている。ポンパドール夫人自身はパリで生まれ、当地との直接的な縁は薄かったとされるが、こうした歴史的背景が村に独特の奥行きを与えている。また1766年には、故スタニスラス王(ルイ15世の義父)の側近であったトレッサン伯爵がこの地に移住したとも伝えられている。

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「Nogent-l'Artaud」を拠点とするシャンパン銘柄

参考情報