目次
Salon
サロン
基本情報
設立 | 1914 |
地区 | Côte des Blancs / コート・デ・ブラン |
村 | 51190 Le Mesnil-sur-Oger / ル・メニル=シュール=オジェ [Grand Cru] |
所在地 | 7 rue Brèche d'Oger, 51190 Le Mesnil-sur-Oger (Google Maps) |
Tel | +33 (0)3 26 57 51 65 |
Fax | +33 (0)3 26 57 79 29 |
公式サイト | https://www.champagne-salon.fr/ |
SNS | champagnesalondelamotte@maisonchampagnesalon |
資本関係 | Laurent-Perrier 傘下 |
製造業者種別 | NM |
製造業者No. | NM-300-001 |
生産者表記 | A.S. |
輸入業者 | 株式会社ラック・コーポレーション |
概要
最新関連情報
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商品更新情報
2024-10-06 08:10:08 ブリュット・ブラン・ド・ブラン 2012の商品情報を更新しました。
2024-10-06 05:05:25 ブリュット・ブラン・ド・ブラン 2008の商品情報を更新しました。
2024-10-06 05:05:25 ブリュット・ブラン・ド・ブラン 1985の商品情報を更新しました。
2024-10-06 05:05:25 ブリュット・ブラン・ド・ブラン 2008の商品情報を更新しました。
2024-10-06 05:05:25 ブリュット・ブラン・ド・ブラン 1985の商品情報を更新しました。
商品一覧
*色:ロゼ、ブラン・ド・ブラン、ブラン・ド・ノワール、その他
詳細
サロンは1914年、第二次世界大戦の年にウージェーヌ・アイメ・サロンによって設立されました。
1867年、シャンパーニュ地方の小さな町で生まれたサロンは、少年時代、単一畑のシャンパンを製造していた、『クロ・タリン』と言うメゾンの醸造長を務める、義理の兄の手伝いをして過ごし、そのうち、パリの毛皮商で、メッセンジャー・ボーイとして働き始め、ビジネスを学び、若くして大成功を収め、政界にも進出します。ですが、若い頃から根っからのシャンパン好きだった彼は、その間も、シャンパンへの熱い想いは消えず、せめて自分の飲むシャンパンは自製でと、コート・デ・ブラン地区の一等地、ル・メニル=シュール=オジェに畑を購入、趣味でシャンパン造りを始めました。ウージェーヌの是非やってみたかったのは単一畑のシャルドネのみを使う完璧なバランスのシャンパン造りと言う、いわば究極の純粋のシャンパンでした。この考えでサロンが初めて生み出したのは、現在では多くのメゾンが好んで造るブラン・ド・ブランです。
当初、サロンは友人達と共に楽しむだけの目的に造っていたので、ボトルには、ラベルも貼られていませんでした。しかし、その品質の高さゆえ、すぐに知られる事となり、誰もがこのシャンパンの販売を望みました。当時、毛皮商として成功を収めていたサロンは、この申し出を断りましたが、あまりにも要望が多く、僅かな数から販売を始め、次第に数が増えて、『サロン』設立に至りました。
1920年から30年にかけてパリの三ツ星レストラン、マキシムが全盛期の頃、ここのハウスシャンパンに使われるまでになりました。しかしサロンは他人の手に渡るところとなり現在はあのローラン・ペリエ社が所有しています。だけれどもヴィンテージ物しか造らないと言うサロンのポリシーは今も変わることがありません。
1867年、シャンパーニュ地方の小さな町で生まれたサロンは、少年時代、単一畑のシャンパンを製造していた、『クロ・タリン』と言うメゾンの醸造長を務める、義理の兄の手伝いをして過ごし、そのうち、パリの毛皮商で、メッセンジャー・ボーイとして働き始め、ビジネスを学び、若くして大成功を収め、政界にも進出します。ですが、若い頃から根っからのシャンパン好きだった彼は、その間も、シャンパンへの熱い想いは消えず、せめて自分の飲むシャンパンは自製でと、コート・デ・ブラン地区の一等地、ル・メニル=シュール=オジェに畑を購入、趣味でシャンパン造りを始めました。ウージェーヌの是非やってみたかったのは単一畑のシャルドネのみを使う完璧なバランスのシャンパン造りと言う、いわば究極の純粋のシャンパンでした。この考えでサロンが初めて生み出したのは、現在では多くのメゾンが好んで造るブラン・ド・ブランです。
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