「フラン・ド・ピエ」とは
Franc de Pied / フラン・ド・ピエ
フラン・ド・ピエとは接木をせず自らの根で育つ葡萄の樹のこと。19世紀のフィロキセラ禍を奇跡的に生き延びた希少な存在で、シャンパーニュではボランジェのヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズなど伝説的なキュヴェを生み出している。
ワインを飲んでいると、ときおり「フラン・ド・ピエ」という言葉をラベルや解説文で目にすることがある。フランス語で「自らの足で立つ」を意味するこの言葉は、文字どおり自分自身の根で地面を踏みしめて育つ、接木をしていない葡萄樹を指す。現代のワイン産地では当たり前のように接木が行われているが、そもそもなぜ接木が必要なのか、そしてなぜ接木しない樹が特別視されるのかを理解するには、19世紀後半に世界中のワイン産地を席巻した一匹の小さな害虫の話から始めなければならない。
フィロキセラ禍と接木の時代
1860年代、フランス南部に正体不明の病害が広がりはじめた。葡萄樹が次々と枯れていき、やがてその原因がアメリカ大陸から持ち込まれた土壌害虫フィロキセラ(Phylloxera vastatrix)であることが判明する。この虫は葡萄樹の根に寄生して養分を吸い取り、木を死に至らしめる。ヨーロッパ系のヴィティス・ヴィニフェラ種は自然免疫をまったく持たず、被害は瞬く間に全ヨーロッパへと広がった。フランスだけで推定300万ヘクタール以上の葡萄畑が壊滅したとされ、シャンパーニュを含む名だたる産地も例外ではなかった。
解決策として採用されたのが接木という技術だ。フィロキセラへの耐性を持つアメリカ系葡萄(主にヴィティス・リパリアやヴィティス・ルペストリスなど)を台木として、そこにヨーロッパ系品種の穂木を接ぎ合わせる。こうして誕生した接木樹は、外見上は通常のヴィニフェラ種の葡萄を実らせながら、フィロキセラから身を守ることができる。20世紀以降のワイン産地では、この接木が事実上の標準となった。ヨーロッパの大半の国では新規植栽に接木が義務づけられており、接木をしないフラン・ド・ピエは制度的にも例外的な存在だ。
フィロキセラを逃れた土地
では、フラン・ド・ピエはなぜ今も世界各地に存在するのか。答えは土壌と地理的条件にある。フィロキセラは砂質土壌では活動しにくい。砂の粒子が粗く乾燥しているため、害虫がトンネルを掘って根に到達することが難しいのだ。また、海や山脈、砂漠など自然の障壁によってフィロキセラ自体が持ち込まれなかった地域も存在する。
世界的に見ると、チリはアンデス山脈・太平洋・アタカマ砂漠の三方に守られ、フィロキセラが一度も入り込んでいないとされる国として知られ、フラン・ド・ピエの葡萄樹が最も多く残る国のひとつだ。ギリシャのサントリーニ島やスペインのカナリア諸島ランサロテ島では火山性土壌がフィロキセラを寄せつけず、樹齢100年を超えるアシルティコやリストラン種のフラン・ド・ピエが今も現役で栽培されている。サントリーニのドメーヌ・シガラスやエステート・アルギロスは、こうした古木から凝縮感のある白ワインを生み出している。オーストラリアのバロッサ・ヴァレーにも1843年植栽とされるシラーズの古木が現存し、ラングメイルのフリーダム・シラーズとして知られる。ポルトガルのコラーレスDOCは純砂の土壌(シャオン・デ・アレイア)が条件であり、固有品種ラミスコのフラン・ド・ピエが法的に守られている数少ない産地だ。
テイスティングノートとワインスタイル
フラン・ド・ピエが生み出すワインのスタイルについては、現在もワイン関係者の間で議論が続いている。接木によって台木の影響がどの程度穂木の表現に及ぶかは科学的にも解明されておらず、「根が自分のものである」ということが純粋にワインの品質や個性に貢献しているのか、それとも樹齢の高さ、低収量、有機的な栽培管理、特殊な土壌といった他の要因によるものかを切り離して判断することは難しい。
それでも、フラン・ド・ピエのワインを評価する専門家たちは共通して、ある種の「複雑な透明感」あるいは「エーテル的なエレガンス」を挙げることが多い。マスター・オブ・ワインのジェレミー・ツッカーマンは「フラン・ド・ピエのワインには余分な魂のようなものがある。比類ない優美さと霊妙なキャラクターを持つ」と語っている。香りの面では、フルーツの表現が純粋で余分な雑味がなく、テクスチャーは緻密でありながら軽快という感想が多い。ただしこれは傾向であり、産地・品種・ヴィンテージによって表現は当然大きく異なる。
シャンパーニュにおける歴史的位置づけ
フィロキセラはシャンパーニュにも20世紀初頭に甚大な被害をもたらした。その後の植え直しはほぼすべてが接木樹であり、現在のシャンパーニュ地方約3万4千ヘクタールの葡萄畑のなかで、アメリカ系台木を使わないフラン・ド・ピエが占める面積はほんのわずかだ。奇跡的にフィロキセラを生き延びたその少数の区画は、ある条件を持ち合わせていることが多い。砂質の土壌はフィロキセラに不利な環境を与え、高い壁で囲まれた閉鎖的な空間が害虫の侵入を物理的に遅らせた可能性もある。また、プロヴィニャージュ(provignage)と呼ばれる古典的な繁殖技術、つまり枝を土中に埋めて新しい株を発根させる方法も関係している。接木が必要な台木を使わないこの方法は、フラン・ド・ピエを維持するうえで欠かせない伝統的な手法だ。
シャンパーニュのフラン・ド・ピエを語るうえで避けて通れないのが、ボランジェの「ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズ(Vieilles Vignes Françaises)」だ。エペルネの東、アイ村に位置するグラン・クリュの二つの小区画、クロ・サン・ジャックとショード・テールには、フィロキセラが猛威を振るった時代を生き延びた無接木のピノ・ノワールが植わっている。合わせてわずか0.36ヘクタールほどの極小の畑で、仕立てもプロヴィニャージュによる昔ながらのやり方が守られている。このシャンパーニュが初めて世に出たのは1969年のこと。英国のワイン作家シリル・レイが、当時のマダム・リリー・ボランジェにこの特別な区画からキュヴェを造ることを勧め、彼女の70歳の誕生日記念として生産されたのが始まりだ。1974年の正式リリース後、VVF(ヴィエイユ・ヴィーニュ・フランセーズの略称)は瞬く間にコレクターズアイテムとなった。100%ピノ・ノワールのブラン・ド・ノワールとして格付けされ、風味は並外れて力強く、凝縮感と繊細さを兼ね備えている。ただし近年、畑でフィロキセラによる被害が進行しており、生産本数は全盛期の3,000〜4,000本から700本前後まで激減している。このシャンパーニュはフラン・ド・ピエの象徴的存在である一方、その脆弱さも体現している。
リムー出身でボルドーを拠点とするロイック・パスケのリベール・パテールが主導する形で2022年に設立されたアソシエーション「フラン・ド・ピエ:エリタージュ」には、シャンパーニュからも名立たるグロワーが参加している。そのひとりがニコラ・マイヤール。エキュイユのプルミエ・クリュに位置する「レ・クペ」という区画は、彼の父ミシェルが1973年に砂質土壌の畑へ接木をせずに植えた0.26ヘクタールのピノ・ノワールだ。現在もアメリカ系台木なしで生きているこの老木から、マイヤールはヴィンテージのよい年だけ少量の「フラン・ド・ピエ・ブラン・ド・ノワール」を生産している。木樽で醗酵・熟成され、ドサージュは極めて少ない。香りにはイーストやブリオッシュのニュアンスが立ち上り、口に含むとピノの純度の高さと滑らかな酸が印象的だ。
シャルトーニュ・タイエもフラン・ド・ピエの系譜に連なる生産者だ。ランス近郊のメルフィに畑を持つアレクサンドル・シャルトーニュは、砂質土壌の「レ・バール」区画に無接木のムニエを栽培しており、ここから生まれる「レ・バール」キュヴェはリッチでクリーミーなテクスチャーと、熟成とともに湿った土や森の下草を思わせる複雑な余韻を持つとして高く評価されている。
こうした生産者たちの取り組みは、ワインのスタイルとしての優劣よりも、もっと根源的な問いに向き合っている。フィロキセラ以前の樹がどのような葡萄を実らせ、どのようなワインを生み出していたかを、現代に伝えることができるのはフラン・ド・ピエだけだ。それはひとつの味わいを守るというよりも、ヴィニフェラ種本来の生命力と、地面とのダイレクトなつながりを記録し続ける行為に近い。数百本という限られた生産本数、繰り返し脅かされるフィロキセラの影、そして多くの国での新規植栽禁止という現実が重なり、フラン・ド・ピエはワインの世界においてますます希少な存在となっていく。シャンパーニュにおけるフラン・ド・ピエは、泡の向こうに19世紀以前の風景を映し出す、生きた時間の断片でもある。